「銀行から融資を引きたい」
「補助金が出るうちに新規事業を仕掛けたい」
「投資家からお金を入れてもらえないか」
こうした相談が、年商3億円規模までの経営者から毎月入ります。最初に僕が確認するのは調達額でも資金使途でもありません。「その資金、本当に今動かす必要がありますか」という一点です。
磯崎哲也さんの『起業のファイナンス 増補改訂版』は、ベンチャー向けの定番書として知られています。タイトルだけ見れば、上場を狙うスタートアップ専用の本に映るかもしれません。けれど僕が中小企業の現場で繰り返しページを開くのは、序章と第1章に、起業期の経営者全員に効く原則が詰まっているからです。
症状:資金調達の話を、テクニックから始めてしまう
磯崎さんは序章で、起業を「資金調達がいらない起業」と「資金調達が必要な起業」の二つに分けて整理しています。在庫や設備が小さくて済むなら、第三者の資金は要らない。けれどレストラン、物販店、製造業、不動産、設備が要る業態は、自己資金だけでは届かない場面が必ず来る。
ここで多くのオーナーがつまずくのは、調達のテクニックから話を組み立ててしまう点です。融資制度、補助金の公募、エンジェル投資家——情報は確かに増えました。けれど磯崎さんが繰り返し指摘しているのは、ベンチャーがファイナンスの知識を欠いたまま「同じようなミス」を重ねてきた、という事実です。
症状としての「テクニック先行型」には3つの典型があります。症状1:制度が背中を押すと、すぐ動く。補助金の公募、低利融資の枠、支店長交代——外部要因で調達を決めてしまう。症状2:複数行から少しずつ借りて、月次返済が重い。一行ずつ無理のない条件で借りた結果、元金返済が利益を圧迫する。症状3:先行投資を勢いで突っ込む。営業強化やシステム投資が、損益と現預金を同時に削っている自覚が薄い。共通しているのは、磯崎さんが言う「全体像のイメージ」が抜けたまま、個別の手続きに走っている点です。
真因:不況時こそチャンス、を中小企業の堅さに翻訳する
磯崎さんは序章で、不況時の起業こそうまくいきやすい、と書いています。理由は二つ。一つは「好況に浮かれて起業した会社より、不況時に堅めに考えて商売を始めたほうが成功率が上がる」こと。もう一つは、不況時には起業を考えるライバルが少ない、という点です。
この一節を、僕は中小企業オーナー向けにこう翻訳しています。「景気の波がどう動こうと、堅めに設計した経営は壊れにくい」。攻める前提で資金を引っ張るのではなく、守りの設計を先に固めてから攻めの調達に入る。順番を逆にするだけで、資金調達の成功率も使い切る精度も大きく変わります。
磯崎さんはもう一段深く指摘しています。資金調達が必要になるのは設備投資だけではない、と。営業マンの前倒し採用やコールセンター準備など「先行投資」は会計上は赤字に映るが、競争相手より早く動かないと負ける場面では調達してでも踏み込む価値が出てくる、という話です。
ここで磯崎さんが釘を刺しているのは「リスク=悪」という発想で動くな、という点です。リスクがゼロで大儲けできる話は転がっていない。2千万円投資して将来1億円の見込みが立つなら、踏み込んだほうが得なケースもある。けれど踏み込むには、踏み込んでも会社が壊れない財務の堅さが先に要ります。
中小企業の現場で僕が見てきたのは、順番を逆にして資金繰りに追い詰められる経営者でした。攻めの調達を先にして、後から守りを整えようとする。本書序章が放っているのは、その順番への警鐘です。
処方箋:『起業のファイナンス』を3つの判断軸に翻訳する
磯崎さんの全体像を、僕は中小企業オーナー向けに3つの判断軸へ落とし込んでいます。
判断軸1:「資金調達がいらない起業」を、まず本気で検討する
磯崎さんは「資金調達がいらない起業」については「やりたいならやってみなはれ。以上」で済む、と書いています。突き放しているように映りますが、僕はここに本書の肝があると読んでいます。資産が小さく在庫もないビジネスから入れるなら、資金調達のリスクを丸ごと回避できる。コンサル、デザイン、専門サービス、無人化店舗——固定費を最小化した形で立ち上げ、稼ぎが見えてから設備投資の判断に進む。
判断軸2:複数行に分散した借入は、メインバンク主導で組み直す
本書は資本政策の話が中心ですが、中小企業の主戦場は銀行借入です。複数行から少しずつ借りた結果、月次返済が膨らんで本業の現預金を削る——よくある詰まり方です。借換一本化は守りの調達。月次キャッシュアウトを軽くしてから、新規事業や設備投資の話を始める。
判断軸3:補助金は「使途が事業の本筋と一致するか」だけで判断する
磯崎さんは補助金を大きくは扱っていません。けれど序章の「不況時に堅めに」という発想は補助金の使い方にも効きます。公募が出たから取るのではなく、もともとやる予定だった投資に補助金が当たった、の順番にする。本筋から逸れた補助金は、もらえた瞬間から運転資金を食う負債に変わります。
CASE 1:福祉施設・借入1億円の借換——守りの調達を先に固めた事例
僕が継続支援している福祉施設のオーナーは、37歳で2代目を継いだ経営者です。稼働率は安定していましたが、複数行に分散した借入が約1億円あり、月次返済の重さで現預金が常に薄い状態でした。
このタイミングで「補助金が出るうちに新規事業を仕掛けたい」という相談が入ります。地域ニーズもあり補助金も出る。多くの支援者なら背中を押す場面です。
けれど磯崎さんの「不況時に堅めに考える」を、僕はこう読み替えていました。新規事業の前に、財務の堅さを先に作るのが順番だと。新規事業は保留にし、メインバンク主導で1億円の借換を実行。月々の返済負担が約60万円圧縮され、手元現預金を月商3ヶ月分まで積み直すのに半年かかりました。
守りの態勢が整った段階で新規事業に着手し、初年度から黒字着地となりました。順番を逆にしていれば、補助金は取れても運転資金が枯渇し、本業まで揺らぐ恐れがありました。
CASE 2:無人化セルフ脱毛サロン・補助金200万円——使途が本筋と一致した事例
無人化セルフ脱毛サロンを立ち上げる起業家の事例です。前職で美容業界に長くいて、1店舗目を出すタイミングでの相談でした。
初期投資は内装と機器で約500万円。自己資金と日本政策金融公庫の創業融資で組み立てる方向でした。ここで小規模事業者持続化補助金の公募が出て、上限200万円を取りに行けるか検討に入りました。
僕が確認したのは、補助金の対象経費が事業計画の本筋と一致しているかどうか、その一点です。Webサイト構築、店舗周辺への販促、初期の体験予約導線——いずれも、補助金が出なくてもやる予定だった投資でした。
磯崎さんが書く「先行投資」の発想に重なります。集客投資は会計上は赤字に映る経費だが、事業の立ち上げ速度を決める投資である。補助金で半額が戻るなら、踏み込まない理由がない。結果として補助金200万円を獲得し、集客投資の手当てがついた状態で開業。1店舗目が黒字化した段階で2店舗目を検討、年間1〜2店舗のペースで地域内に展開しています。
ADVISORY:もし「投資家から出資を入れてもらいたい」と相談が来たら
仮に、年商1億円規模の中小企業オーナーから「成長を加速したいので投資家から出資を入れたい」という相談が来たとします。多くの支援者は資本政策の話から始めるかもしれません。
僕なら本書の第1章「ベンチャーが株式で資金調達をする理由」に立ち戻って質問します。「銀行借入で届かない資金規模なんですか」「上場やM&Aを5〜10年以内のEXITとして本気で目指す覚悟がありますか」。
即答できないなら、出資の話は一度棚に戻すことを勧めます。磯崎さんが本書で繰り返し書いているのは、株式での資金調達は返さなくていい代わりに「会社を一緒に運営する仲間」を入れる行為だ、という話です。中小企業オーナーの大半は、銀行借入と補助金、自己資金の組み立てで届く規模で勝負しています。出資の検討は、銀行借入の上限が見えてからで遅くない。これが本書から僕が抽出した、年商3億円規模までのオーナー向けの基本姿勢です。
明日の一手:『起業のファイナンス』を経営に効かせる90日プラン
本書を読んで、自社の資金調達と投資の判断に落とし込むための3ステップを示します。30日刻みで90日。年商立ち上げから3億円規模の中小企業オーナーが、無理なく回せる設計にしました。
1日目〜30日目:資金調達がいらない起業の余地を点検する
事業の中で「設備投資や在庫を持たずに動かせる部分」がどれだけあるかを棚卸しする。新規事業を検討中なら、初期投資ゼロで試せる小さな型を1つ書き出してみる。既存事業なら固定費の中で「やめても売上が落ちないもの」を3つリストアップ。資金調達の前に、調達額そのものを下げる工夫をする。
31日目〜60日目:借入の現状を一枚にまとめ、メインバンクと話す
取引行ごとの借入残高、月次返済額、金利、担保・保証の状況を1枚の表にする。複数行に分散しているなら、メインバンクの担当者に「借換の検討余地はあるか」を1回相談する。月次返済を軽くできれば、それだけで攻めの判断に余白が生まれる。借換の検討と同時に、現預金月商比を計算し、最低2ヶ月、できれば3ヶ月の水準を目標に置く。
61日目〜90日目:補助金リストと事業計画の本筋を照合する
地域で公募中の補助金を3つピックアップし、それぞれの対象経費と自社が本来やる予定だった投資を照合する。一致しているものだけ取りに行く。一致しないものはきれいに見送る。同時に、本書の第3章にあたる「事業計画の作り方」を参考に、損益・貸借・キャッシュフローの3表を粗くてもいいから書いてみる。書けば、調達額と返済可能額のギャップが見える。
90日後、資金調達の判断軸が変わります。テクニックではなく順番、調達額自体を下げる発想、本筋に合った補助金だけ取る規律。これが、磯崎哲也さんの『起業のファイナンス』から僕が抜き出した、年商3億円までのオーナーの生存戦略です。
参考書籍・引用事例
参考書籍:磯崎哲也『起業のファイナンス 増補改訂版』日本実業出版社、2014年
本記事で参照した本書の章立て:「増補改訂版発行にあたって」、序章「なぜ今『ベンチャー』なのか?」(不況時は起業のチャンスかもしれない/資金調達がいらない起業が増えている/資金調達にはノウハウが必要/起業の情報が不足している)、第1章「ベンチャーファイナンスの全体像」(ベンチャーが株式で資金調達をする理由/投資家は何を求めているか?/ベンチャーのライフサイクル)、第3章「事業計画の作り方」
本書からの主な引用・参照箇所:
- 「不況時に起業した会社はうまくいく」「好況に浮かれて起業した会社より、不況時に堅めに考えて商売を始めたほうが成功率が上がる」(序章)
- 起業の二分類「資金調達がいらない起業」と「資金調達が必要な起業」(序章)
- 「先行投資」は会計上は赤字でも、競争上は資金調達してでも踏み込む価値がある場面がある(序章)
- 「リスク=悪」という発想で動くな、リスクがゼロで大儲けできる話は転がっていない(序章)
- 株式での資金調達は返さなくていい代わりに「会社を一緒に運営する仲間」を入れる行為(第1章)
引用事例(CASE 2件):
- CASE 1:福祉施設・借入1億円の借換と新規事業着手(えだもん支援事例 case_005)
- CASE 2:無人化セルフ脱毛サロン・小規模事業者持続化補助金200万円活用と1店舗目開業(えだもん支援事例 case_007)
ADVISORY:年商1億円規模の中小企業オーナーから出資調達相談が来た場合の架空事例(実在の特定事業者を指すものではない)
執筆日:2026年5月13日
著者紹介:枝元 宏隆(えだもと ひろたか)。中小企業診断士・社外CFO。熊本を拠点に、年商立ち上げから3億円規模までの中小企業オーナーへの伴走支援を専門とする。製造業・人材派遣・福祉施設・飲食店・不動産・無人化店舗など多業種の支援実績を持ち、財務の守りの態勢構築と資金調達・投資判断の伴走を得意としている。

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