「社員に任せたいけど結局自分でやり直してしまう」
「事業を絞ったほうがいいと頭ではわかっているのに踏み切れない」
「もう一段、会社を伸ばしたい。でも何を変えればいいのか言葉にできない」
顧問先の経営者から、こうした言葉が漏れる瞬間があります。そんなとき僕が手元に置いているのが、村岡大樹さんの『自分の変え方』。認知科学コーチングを軸にした一冊で、対象は若手ビジネスパーソン中心ですが、読み替えれば年商3億円規模までの中小企業オーナーの胸ぐらをつかむ本になります。
症状:会社を変えたいのに、社長が変わっていない
村岡さんは本書冒頭で、人間には「変わりたくない」本能が強力に備わっており、急激に変化しようとすると人は元の状態に戻ろうとする、と書く。この前提を経営に持ち込むと現場の景色が変わります。「社員が育たない」「会社が次のステージに上がらない」と嘆く社長の多くは、組織や市場ではなく社長自身が同じ選択と同じ行動を繰り返している。村岡さんの言葉を借りれば、意思決定のほとんどは無自覚に行われ、その奥には無意識の信念が居座っている。
症状としての「変われない経営者」には、3つの典型があります。
症状1:判断基準が他人軸のまま。同業の社長と比べ、銀行員の顔色を見て、業界の常識に合わせて決めてしまう。村岡さんは、定められた評価軸や他人軸で生きていると自分の心の声が聞こえなくなる、と書く。経営判断にそのまま当てはまります。
症状2:達成可能な目標しか設定していない。昨対比15%アップ、来期売上2億円。村岡さんが本書で繰り返し批判するのが、この「達成可能なGOAL」への執着です。今の生き方の内側にある目標を追い続けても、社長自身は本質的に変わらない。
症状3:撤退や転換に踏み切れない。続けたほうが楽だ、ここまでやってきたのだから、と無自覚な信念が判断を曇らせる。村岡さんはこれを、無意識に埋め込まれた信念が日々の決断を左右している状態だと整理します。
この3つはすべて社長個人の内側の問題で、順番を間違えると、いくら戦略フレームを回しても会社は動きません。
真因:本心の言語化が済んでいないと、やる気は経営判断に変換されない
本書を経営者向けに読み替えるとき、僕が一番効くと感じる原則は2つです。
1つ目は「やる気は必要条件」という思想。村岡さんは、人間の「変わりたくない」本能を乗り越えるには自分が「変わる」と覚悟して行動するしかない、と書く。やる気がなければ、どんなコーチングも知識も結果に結びつかない。経営も同じで、本心からその方向に動きたいと思っていない社長の会社は、外部から戦略を入れても変わりません。
2つ目は本心の言語化。村岡さんは「自己理解」のステップで、自己欲求・自己能力・自己機能を見出すワークを置く。なぜその仕事を選び、なぜその業務に苦痛を感じず取り組めるのか。幼少期や両親との関係まで掘り、無意識に積み上がった信念の形をつかむ。経営者にこのプロセスを通すと、会社の方向性に関する判断ブレが激減します。
本書のキーワードに「自分に響く生き方」があります。心と身体が共鳴している状態こそ最も力を発揮できる、と村岡さんは書く。経営に翻訳すれば、社長の本心と会社のGOALが共鳴している状態こそ組織が最大の出力を出せる状態。本心が言語化されていない経営者は銀行や同業の動きに反射的に反応し、社員にビジョンを語っても響かない。やる気の量ではなく向きが定まっていないからです。
処方箋:村岡式コーチングを、経営者の3つの判断軸に翻訳する
本書のフレームを、僕は中小企業オーナー向けに3つの判断軸に翻訳して顧問先に渡しています。
判断軸1:今の生き方の外側にGOALを置けているか
村岡さんは、正しいGOALの3条件として、今の生き方の外側であること・並列的であること・自己欲求に根ざしていることを挙げています。「達成可能ということは今の生き方の内側にあるGOALだから、達成しても本質的にあなたは変わらない」と明言する。経営計画も同じで、昨対比110%は今の延長線上にしかない。3年後に事業領域・組織構造・社長の役割のどれかが変わっている、というGOALを置けているか。達成できるかどうかではなく最後まで執着し切れるか、と村岡さんは書きます。
判断軸2:本心を、無自覚の信念から切り離せているか
本書の自己理解パートで強調されるのは、無意識の信念に気づくこと。「親から怒鳴られた体験からできた信念」「人前での失敗が起源の恐れ」など、幼少期由来の信念が現在の意思決定を縛っている、と村岡さんは書きます。経営者にも強烈に当てはまる。「父親が苦労したから自分も同じ業界で苦労すべきだ」「社員には厳しく接しないと舐められる」——こうした無自覚な信念が事業選択や組織運営をゆがめます。本書はこのプロセスを「プラスになる信念は残し、マイナスになる信念は書き換える」と整理しています。
判断軸3:決断のステップで一歩前に出せるか
村岡さんは5ステップの中で「決断」が最重要かつ最難関だと書きます。自己理解やGOAL設定はワクワクできる。けれど決断のステップで多くの人が止まる。「GOAL設定までは進めたが決断のステップには進めない」という溝が現実に存在する、と本書は警告する。経営も同じ構造で、事業転換・撤退・組織再編・社長交代——数字とロジックが揃っていても最後の一歩で止まる社長は多い。やる気の量ではなく本心の言語化が、決断のスピードを決めます。
CASE 1:人材派遣・33歳社長——思い込みを外したら、組織が動き出した
人材派遣業を引き継いで3年目、33歳社長の事例です。売上は親世代から横ばい、社員10名、社長自身が派遣先営業から契約管理まで抱え込んでいました。「社員に任せたいけど任せきれない」「自分が抜けたら回らない」が口癖。
3ヶ月伴走しながら本書のフレームで本心を掘ると、「自分が把握していなければ社員から信頼されない」という無自覚な信念が浮かびました。さらに掘ると、長男として弟妹の世話を抱え親から認められてきた子ども時代の経験が、経営者の振る舞いに移植されていたのです。
村岡さんが書く通り、無自覚な信念は本人が気づけなければ悪循環になります。社長は信念に気づいたあと、3ヶ月かけて段階的に営業を社員に渡し、自分は新規事業構想と銀行折衝に時間を使う形へ移行。半年後、売上は1.3倍、社長の労働時間は4割減。本心の輪郭が見えると組織の景色が変わる好例です。
CASE 2:飲食店オーナー——撤退の決断は、自分の人生を取り戻す行為だった
地方都市で2店舗を運営していた飲食店オーナーの事例です。コロナ後の客足回復が想定の半分で止まり、月次が赤字基調に。最初の相談時、社長の口から出たのは「もう少し頑張ればなんとかなる気がする」でした。
数字を並べると、現預金が尽きるまで14ヶ月。けれど社長が手放せなかったのは数字ではなく、「ここで畳んだら自分が負けたことになる」という信念。本書が指摘する無自覚な信念そのものです。続けるという選択は、社長本人の本心ではなく社会通念や同業他社の目線が決めていました。
3週間、本心を言葉にする時間を取ると、「家族と過ごす時間がほしい」「次は別業態で再起したい」「社員には恨まれない形で送り出したい」という本音が出てきた。このとき初めて撤退が「敗北」ではなく「自分の人生を取り戻す決断」として腹落ちしたのです。
結果、1店舗を閉店、もう1店舗を業態転換。閉店時点で自宅も残せ、社員の再就職先も全員確保できた。2年後、社長は別の小規模事業で再起しています。村岡さんが書く「決断のステップ」を、僕は経営判断で最も重い場面に応用しています。
ADVISORY:もし「無人化セルフ脱毛サロンを多店舗展開したい」と相談が来たら
仮に、無人化セルフ脱毛サロンを1店舗運営して軌道に乗ったから半年で5店舗に増やしたい、という相談が来たとします。多くの支援者は資金調達と立地調査から始める。僕なら本書のフレームで本心を確認します。「なぜ多店舗化したいのか」「5店舗の社長になっている自分にどこまで臨場感を持てているか」「社員が増えた組織を率いる自分の姿が本心から望ましいか」。
本書の言葉を借りれば、GOAL世界に高い臨場感が湧いていなければコンフォートゾーンは未来側にズレません。本心が固まる前の規模拡大は、社長個人の消耗と組織の混乱を同時に呼ぶ。出店速度は本心の固まり具合に合わせる——というのが本書から導いた僕の助言です。
明日の一手:村岡式を経営判断に効かせる90日プラン
本書を自社経営に落とし込むための3ステップを示します。30日刻みで90日、年商3億円規模までのオーナーが無理なく回せる設計です。
1日目〜30日目:自己理解——本心を掘り出す
毎週日曜の夜30分、机に向かう。1週目は「経営をやっていてよかったと感じた瞬間」を10個書き出す。2週目は「子どもの頃から無意識に大事にしてきたこと」を3つ書く。3週目は「親や周囲から受け取った無自覚な信念」を3つ挙げ、プラスとマイナスに分ける。4週目は信頼できる経営者仲間か顧問の士業に話して反応をもらう。本心が言葉になります。
31日目〜60日目:GOAL設定——今の生き方の外側に1つだけ置く
3年後の自社と社長個人について、達成可能ではなく「自分が変わらないと届かない」GOALを1つだけ置く。村岡さんの3条件——外側・並列的・自己欲求に根ざしている——でチェック。事業領域・組織形態・社長の時間配分の最低1つは、現在の延長線上にない姿を描く。月1回読み直す。
61日目〜90日目:決断——変える領域を1つに絞り、一歩を打つ
GOALに向けて変える領域を1つだけ選ぶ。事業絞り込み・新規起動・権限委譲・撤退・組織再編。複数選ばず30日以内に最初の具体行動を入れる。一歩踏み出した経営者だけが、本書の言う「自分に響く生き方」を経営の現場で体現できます。
90日後、経営判断のスピードと深さが変わります。本心を掘り、GOALを外側に置き、変える領域を1つに絞って決断する——『自分の変え方』から僕が抜き出した中小企業オーナー向けの実装手順です。
参考書籍・引用事例
参考書籍:村岡大樹『HOW TO 自分の変え方 CHANGE YOURSELF——認知科学コーチングで新しい自分に会いに行く』幻冬舎
本記事で参照した本書の章立て:はじめに、序章、第1章「今の自分の生き方を捉える」、第2章「認知科学のコーチング」、第3章「コーチングの5ステップ」(自己決定/自己理解/GOAL設定/決断/アクションプラン)
引用・参照した本書の主張:
- 人間は「変わりたくない」本能を備え、快適な状態にとどまろうとする(序章)
- 意思決定のほとんどは無自覚に行われ、無意識の信念が日々の決断を左右する(第1章)
- 無自覚な信念は本人が気づけなければ悪循環になる(第1章)
- プラスになる信念は残し、マイナスになる信念は書き換える(第1章)
- 他人軸で生きていると、自分の心の声が聞こえなくなる(第2章)
- 正しいGOALの3条件——今の生き方の外側/並列的/自己欲求に根ざしている(第3章ステップ3)
- 達成可能なGOALは内側にあり、達成しても本質的には変わらない(第3章ステップ3)
- 決断のステップが最重要かつ最難関で、ここで止まる人が多い(第3章ステップ4)
- 心と身体が共鳴している「自分に響く生き方」こそ最も力を発揮できる(第3章)
引用事例(CASE 2件):
- CASE 1:人材派遣業・33歳社長の思い込み外しと権限委譲(えだもん支援事例 case_004)
- CASE 2:飲食店2店舗運営オーナーの撤退・業態転換判断(えだもん支援事例 case_006)
ADVISORY:無人化セルフ脱毛サロン多店舗展開相談の架空事例(実在の特定事業者を指すものではない)
執筆日:2026年5月13日
著者紹介:枝元 宏隆(えだもと ひろたか)。中小企業診断士・社外CFO。熊本を拠点に、年商立ち上げから3億円規模までの中小企業オーナーへの伴走支援を専門とする。製造業・人材派遣・福祉施設・飲食店・不動産など多業種の支援実績を持ち、本心の言語化を起点とした経営再設計を得意とする。

コメント