経営者が「聞けなかった」から立て直した3ステップ|永松茂久『人は聞き方が9割』を新規事業失敗の現場で学び直した記録

経営改善

「聞けなかった半年」が新規事業を蝕んでいた

経営者にとって「聞く力」が問われるのは、実は順調な時より失敗と向き合う時です。うまくいっている時は、社長が話すだけでも組織は回る。問題は、事業が躓き始めた時、従業員の声を拾えるかどうかで再起の速度が決まります。

今日話したいのは、新規事業の立ち上げで躓いた経営者が、永松茂久さんの『人は聞き方が9割』を手がかりに聞き方を変え、再起の足場を作った実録です。中小企業診断士として2年以上伴走している事例を元に、本書の3ステップを「失敗からの学び」として再解釈します。

事例:生命保険代理店×新規事業(運動関連)の立ち上げで何が起きたか

まず事例の全体像を話します。2023年頃から支援している生命保険代理店の会社が、事業の多角化として運動関連の新規事業を立ち上げました。僕は新規事業立ち上げ支援に入り、小規模事業者持続化補助金と新事業展開助成金の活用でリスクを下げた状態で開始。事業運営の「スマートな仕組み」も構築しました。

それでも、売上は想定に届かず、現在も損益分岐点売上高を行ったり来たりしている状態です。補助金・助成金で初期リスクは下げたが、市場に受け入れられるスピードが想定外に遅かった。従業員も頑張ってくれている。仕組みも動いている。それでも売上が伸びない。

この「苦しい半年間」に起きていたのが、経営者の聞き方の問題でした。代表者は新規事業に全力で走る一方、従業員が感じていた違和感を受け止められていなかった。本書の3ステップを順に当てはめて、何が欠けていたかを整理します。

ステップ1:ペーシング——相手のペースに合わせることを捨てていた

本書の1つ目の技法が「ペーシング」です。相手の話すスピード・声の大きさ・言葉の抽象度に合わせる。

この経営者は本業(保険代理店)では営業力が高く、話すスピードも速い。新規事業の立ち上げ当初、この速さが裏目に出ました。従業員が「本当に売れるのか」という根本的な不安を口にしようとしても、経営者の話すスピードに追いつけず、途中で諦めてしまう。結果として、現場の不安は水面下に溜まり続けました。

実装のコツ

僕が提案したのは、毎週の1on1冒頭5分だけペーシングを意識することでした。全会話で合わせ続ける必要はない。「この5分は相手のペースで話してもらう時間」と経営者の中で線を引く。週1回×5分のこの区切りが、経営者側の「聞く姿勢の切り替え」を物理的に可能にしました。

ステップ2:拡張話法——経営者は「知らなかった」と「そうなんだ」を使い分ける

本書の核心が拡張話法(さすが・知らなかった・すごい・センスいい・そうなんだ)の5フレーズです。

経営者×部下では、5つのうち特に効くのが「知らなかった」「そうなんだ」の2つです。「さすが」「すごい」「センスいい」は、部下側からすると「おだてられている」と感じることがあり、逆効果のリスクがある。

この新規事業の現場で、経営者が従業員に対して「知らなかった」を返せるようになるまで約2ヶ月かかりました。新規事業の立ち上げ期は、経営者自身が「全てを把握しておかないと怖い」という心理が強く働きます。「知らなかった」を口にするのは、経営者のプライドを脇に置く訓練でした。

事例の転機

ある週の1on1で、従業員が「実は、ターゲット顧客の反応があまり良くない気がします」と話しました。経営者は最初、反論しかけて止めて「そうなんですね、知らなかった」と返した。その直後、従業員から3ヶ月分の積み上がった現場観察が一気に出てきた。この瞬間が、聞き方の転換点でした。

ステップ3:否定しないルール——1拍置いて、評価と受容を分離する

本書が繰り返す「否定しない聞き方」。特に経営者にとって難しいのは、判断と聞き取りを同時にやる癖があるからです。聞いた瞬間に反応する、評価する、決定する——この3ステップを分離できない。

実装のコツは、「評価」と「判断」の最初のリアクションを分離することです。部下の発言への最初の言葉は「そうなんですね」で一度受ける。評価は頭の中だけで保留。1〜2秒後に「もう少し詳しく教えてもらえますか」と続ける。

この1拍の変化で、従業員側の「言っても否定される」という学習がほぐれます。新規事業の現場では、この1拍が3ヶ月〜半年のスパンで効いてきました。

¥1,485 (2026/04/19 22:38時点 | Amazon調べ)

失敗の半年から学んだこと

新規事業の立ち上げは、補助金・助成金で初期リスクを下げられても、市場に受け入れられる熱量と現場の不安を同時に扱う必要があります。外部支援者がスマートな仕組みを作ることはできる。補助金でリスクを下げることもできる。ただ、最後の一押しを走らせる熱量と、従業員の不安を受け止める姿勢の両方は、代表者本人からしか出ません。

この事例の経営者は、失敗の半年を経て聞き方を変えた結果、従業員側から改善提案が出始めました。現在は売上の底上げフェーズに入っていますが、この回復には聞き方を変えた瞬間が起点になっていました。

本書の限界:経営者は「聞く人」だけで終われない

本書は「聞き手に徹する」ことを推奨しますが、経営者にはもう一つの役割があります。「決定者」としての役割です。

聞いてばかりで決定しないと、部下側に「この社長は何を考えているか分からない」という別の不満が生まれます。聞く姿勢と決定する姿勢、両方を場面で使い分ける必要がある。

実用的には、「1on1などの対話の場では徹底的に聞く」「会議や決定の場では即断する」という分離が機能します。これは安藤広大『リーダーの仮面』が扱う「仮面をかぶる」という考え方と相性が良い。本書と併読することで、聞く場と決める場の両方をカバーできます。

失敗パターンと回避策

3ステップで最も陥りやすい失敗は、全部を一気に身につけようとすることです。1ヶ月目はペーシングだけ、2ヶ月目は拡張話法だけ、3ヶ月目は否定しないルールだけ——と分けて練習するのが実用的。

一気にやろうとすると、会話中に「次は何の技法を使うべきか」に意識が向き、相手の話が入ってこなくなる。本末転倒です。

明日の一手:次の1on1の冒頭5分、質問を1つだけに絞る

ここまで読んでくれた経営者に、具体的な一歩を提案します。

次の1on1の冒頭5分、質問はたった1つに絞ってください。「先週、一番悩んだことは何ですか?」。この1つだけ。相手が話し出したら、5分間、「そうなんですね」「知らなかった」の2つだけで受ける。自分の意見は一旦、頭の中に置いておく。

この5分が、聞く力の基礎体力です。そして、この5分で部下の方から「実はこんなことがあって」という具体が自然と出始めます。本書を読んでから実装するより、先にこの5分間を体験してから読む方が、本書の各章の意味が一気に立体化します。

¥1,485 (2026/04/19 22:38時点 | Amazon調べ)

この記事の根拠と執筆背景

主要な参考書籍

本記事は永松茂久 著『人は聞き方が9割』を主要な参考書籍としています。特に「ペーシング」「拡張話法」「否定しないルール」の章を、新規事業失敗の現場視点で再解釈しました。

副次参考書籍

「聞く場と決める場の分離」の論点では、安藤広大『リーダーの仮面』の「役割に徹する」という考え方を併用しています。

引用した支援事例について

  • 事例: 生命保険代理店+運動関連の新規事業における2023年頃〜現在の支援経験に基づきます。小規模事業者持続化補助金・新事業展開助成金を活用しながら、損益分岐点売上高を行き来する苦戦期に聞き方の立て直しを支援。社名・個人名は匿名化しています。

執筆日・最終更新日

執筆: 2026-04-21 / 最終更新: 2026-04-21

著者について

枝元 宏隆(えだもん)。中小企業診断士、複数法人経営者。九州中心に経営改善・新規事業立ち上げ・組織改革の伴走支援を実施。

えだもん (中小企業診断士)

中小企業診断士/連続起業家。21歳で起業、以来14年でビジネス書2,000冊超を読破。実務で効いた本だけを紹介する「課題突破の選書エージェント」運営者。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE