貯蓄を取り崩すのが怖い経営者へ|『DIE WITH ZERO』の「資産ピークは金額ではなく時期」を実装する

マインドセット

資産を取り崩せないまま60代を迎える経営者に起きていること

40代・50代の中小企業経営者から、個人の資産取り崩しについての相談を受ける機会が増えています。株式の売却益、生命保険の解約返戻金、役員退任時の退職金。通帳の残高は積み上がっているのに、いざ使う段になると手が止まる。旅行の見積もりを取っても、孫への生前贈与の話が出ても、結局「もう少し様子を見る」で終わる。

この「もう少し」を積み上げた先に何があるか。ビル・パーキンスが『DIE WITH ZERO』で提示した米国のデータがそのまま答えになっています。退職前に50万ドル以上の資産を持っていた人は、退職から20年後でも資産の88%以上を残したまま亡くなっている。全退職者の3分の1に至っては、退職後に資産を増やしていた。年金受給者の16年間の資産消費率はわずか4%。

つまり、使うつもりで貯めた金を、ほとんどの人は使えないまま天に還る。これは「慎ましい美徳」ではなく、原典の言葉を借りれば「自分より長生きさせようとしている」状態です。経営者の場合、この傾向はさらに強くなります。会社の資金繰りを守ってきた思考の癖が、そのまま個人資産にも適用されるからです。

「老後資金2,000万円」を目標にしてはいけない理由

相談の現場でよく聞くのが「あと◯◯万円貯まったら楽になるはず」という言葉です。2,000万円、5,000万円、1億円。人によって額は違いますが、構造は同じ。金額を目標にしている限り、その目標は必ず後ろにずれていきます。

『DIE WITH ZERO』はこの現象を明確に言語化しています。「200万ドル貯めても、次は250万ドル貯めればもっと良い生活ができると考える。それを達成したら、さらに300万ドルあれば……と考えるようになる」。パーキンスが原典で示しているのは、目標額というゴールは無限に後退するため、金額で決めた『十分』は心理的にいつまでも到達しないという構造的な指摘です。

この構造は、会社の内部留保の議論とそっくりです。僕が伴走している中小企業の社長で、内部留保がいくら積み上がっても「まだ足りない」と感じ続ける方がいる。一方で、最初から「雇用を守れる最低ライン」と「投資に回す上限ライン」を数字で切っている社長は、そこに届いた瞬間から余剰を事業再投資や役員報酬に配分できる。違いは金額ではなく、どこで「十分」と判定するかを事前に設計したかどうかです。

個人資産も同じ設計が要ります。パーキンスは金額目標を捨てろと言っているわけではありません。ただし最終判定は時期で行う、という順序を提案しています。

真因は「取り崩しの時期」を一度も決めていないこと

ではなぜ、経営者は取り崩しの時期を決められないのか。現場で観察している限り、原因は三層に整理できます。

第一層:会社の資金繰り思考が個人資産に染み出している

中小企業経営者は、会社の現預金を「雇用と取引を守るための最後の砦」として扱います。これは経営判断として健全です。問題は、同じ思考を個人の資産に適用してしまうこと。会社にとっての現預金と、個人にとっての金融資産は、守るべき対象が根本的に違います。個人資産は雇用を守る必要がない。守るのは自分と家族の人生そのものです。

第二層:資産の「ピーク年齢」を知らない

パーキンスは『DIE WITH ZERO』のルール8で、資産取り崩しを始めるべき目安を45〜60歳と明示しています。米国データに基づく主張ですが、背後にある論理は普遍的です。人は年齢とともに、金から価値を引き出す能力が低下していく。退職直後の「ゴーゴーイヤー」で動き回り、70代の「スローゴーイヤー」で行動が穏やかになり、80代以降の「ノーゴーイヤー」ではどれだけ金があっても使い道が減る。この三段階は原典が退職金計画の専門用語として紹介しているもので、実感としても外れていません。

日本の40代・50代経営者は、この三段階のうち「まだ余裕」と思っている期間に、実は既にゴーゴーイヤーの入口にいます。会社を経営しながらの個人資産活用は、時間の制約も体力の制約も会社員より重い。取り崩し開始を65歳まで後ろにずらすと、ゴーゴーイヤーの大半を貯めることに使って終わる計算になります。

第三層:「何のために貯めたのか」を一度も言語化していない

これが一番深い層です。相談で必ず聞くのは「その金は何のために貯めたんですか」という問いです。多くの場合、最初に返ってくるのは「老後のため」「万一のため」という抽象語で、その先がない。目的が抽象のままだと、到達判定もできない。到達判定ができないから、取り崩しも始められない。これは経営者本人の判断哲学の空白であって、金融商品の選び方の問題ではありません。

処方箋:資産のピークを「時期」で決める3ステップ

原典の処方箋は驚くほどシンプルです。順に実装していきます。

ステップ1:「自分のための金」を別枠に切る

パーキンスは、子どもへの贈与や慈善団体への寄付に充てる金は「別」だと明確に区別します。その上で、自分のために使い切る対象は別枠の残りだけ、とします。経営者の場合は、さらに会社向けの補填余力(役員貸付余力)も別枠に切り分けておく必要がある。自分のための金と、会社のための金と、子どものための金を、同じ口座で混ぜておくと、どれをどう使うかの判定が永遠にできません。

『DIE WITH ZERO』が提示するのはあくまで個人の話で、経営者特有の「会社への補填余力」には触れていません。ここは僕が現場で補足している部分です。会社資産と個人資産を重ね合わせて考える経営者ほど、取り崩し開始が遅れます。

ステップ2:タイムバケットに「自分がやりたいこと」を書き込む

原典のルール7で提示される「タイムバケット」は、5年または10年で人生を区切り、やりたい経験をどの区間に置くかを書き出す作業です。45〜54歳、55〜64歳、65〜74歳。経営者の現場で使う場合は、ここに事業側の節目も並べて書きます。第二創業の完了時期、MBO完了時期、息子・娘への贈与完了時期。事業の時間軸と個人の時間軸が重なる区間で、金と時間のどちらが先に尽きるかを可視化する。

このとき金額は気にしない、というのがパーキンスの指定です。やりたいことを先に書き、金額の議論はその後。逆順でやると、金額の壁が先に立ち上がり、何も書けなくなります。

ステップ3:取り崩しの開始年齢を「数字」で決める

45歳、50歳、55歳、60歳。どの年齢から自分のための金を使い始めるか、数字で決める。5歳刻みで構いません。決めた時点で、そこから逆算して「残り何年で準備するのか」「雇用と取引を守るための会社側の現預金は何年かけて厚くするのか」が数字で見えます。年齢の設計が最初にあれば、金額の議論は後から機械的についてきます。

僕が支援したある不動産関連の小規模会社(代表+従業員1名・年商5,000万未満・代表34歳)で、社長の給与設計を従業員の給与より先に決めた案件がありました。社長本人は従業員を雇ったとき「自分がやった方が早い」業務を抱え込み、苦手業務を任せずストレスを溜めていた。そこで提案したのは、評価軸を金額やアウトプットで決めるのではなく、「社長が苦手で従業員が得意な業務=社長のストレス軽減分」から逆算して金額を決める設計です。社長の得意業務を手放すのではなく、社長のストレス源を任せる設計。結果として社長が手放すべき業務が整理され、会社全体の売上と利益が伸びる状態に移行しました。金額先ではなく体感の納得感から逆算して金額を決めるというこの順序は、個人資産の取り崩し判定にもそのまま転用できます。取り崩し金額を先に決めるのではなく、自分が「やりたいこと」と「使い切りたい時期」を先に決めて、そこから金額を逆算する。パーキンスが提案しているのも、同じ順序です。

「取り崩し始めるべき時期」を1年遅らせた経営者の後悔

ここまでの話を「理論としては分かるが踏み切れない」と言う方に、僕が必ず思い出す現場があります。

コロナ後から廃業着地までを伴走した地元の先輩経営者のケースです。カフェ業態で、室内グランピング付きカフェへの拡大を試みていた時期に、既存店がコロナで大きなダメージを受けた。拡大事業の撤退費用も重なり、資金繰りが厳しくなった。廃業着地の1年半前の段階で、僕は「このままずるずる返済を続けるなら、一度潔くすべてリセットする選択肢(自己破産)もある」と提案しました。

経営者本人は営業力と人脈拡大が強みで、再起の余地は十分にあった。ただ「しっかり返したい」という義理の気持ちが強く、実行に移すまで約1年かかりました。最終的に廃業・自己破産の手続きに進み、現在は仕事をしながら再建のための体力を戻し、新たな事業への準備を進めています。

1年早く決断できていれば、再チャレンジへの移行もより早かった可能性が高い。この案件で僕が学んだのは、「決断の1年遅れ」は金額の損失より、時間の損失の方が致命的だということです。撤退の判断も、取り崩しの判断も、構造は同じです。早く動けば再起の時間も取り崩せる年数も長く確保できる。「もう少し」で1年遅らせると、ゴーゴーイヤーの1年が戻らないまま失われる。

誤解しないでほしいのですが、これは「すぐに全部使え」という話ではありません。経営者本人が「どう生きたいか」という本心を言語化する作業を、何年も後ろ倒しにしてはいけない、という話です。

もし「法人で運用するか、個人に回すか」の相談が来たら

仮に年商1億規模の経営者から「利益が出てきたので、経営セーフティ共済や退職金準備の保険で法人運用をしたい」という相談が来た場合、僕がまず確認するのは年商ではなく、利益規模と事業の投資利回りです。

既存事業を投資利回り以上に伸ばせる余地があるなら、法人運用よりも事業再投資が先。その余地がなく、かつ利益が十分に出ている場合に限って、経営セーフティ共済(全額損金)や退職金準備(2分の1損金の保険等)を組み合わせる判断に入ります。ただし日本国内で事業による節税・運用を考えるメリットは限定的で、本気で利益を残すフェーズに入ったら海外法人スキームまで視野に入れる話になります。

ここで『DIE WITH ZERO』の論点と接続します。パーキンスが繰り返し強調するのは「自分のための金を、自分が使える時期に使い切る」です。法人に貯めたお金は、退職金として受け取るまで個人では使えません。法人運用で節税できても、個人が自分のゴーゴーイヤーに使える金が増えないなら、経営者本人の人生という視点では効率が悪い。法人運用と個人への配分は、税効率だけでなく「自分がいつ使えるか」という時間軸で判断する必要があります。

この相談でよくある勘違いは、「利益が出たら国内の節税商品で処理すれば正解」という固定観念です。実際は事業への再投資や海外スキームの方が長期的なリターンは大きく、さらにパーキンスの言う「時期のピーク」で個人が使える金を減らしてしまうと、経営者の人生設計として本末転倒になります。

『DIE WITH ZERO』を経営者が使うときの3つの鉄則

  1. 金額目標ではなく、取り崩しの開始年齢を先に決める(原典ルール8:資産のピークは金額ではなく時期)
  2. 自分のための金・会社のための金・子どものための金を別枠に切る(原典ルール3・5の組み合わせを経営者用に拡張)
  3. タイムバケットは事業の節目と個人の時間軸を重ねて描く(原典ルール7の経営者版)

明日の一手:30分、紙に「何のために貯めたのか」を書き出す

明日、30分だけ時間を取って、紙に次の3つを書いてください。

  1. 今の個人金融資産の総額(だいたいで構いません)
  2. それを何のために貯めたのか(「老後のため」は却下。誰と、どこで、何をするためか、を5行くらい)
  3. いつから取り崩し始めるか、年齢を5歳刻みで決める

2が書けないなら、取り崩し開始の判定は永遠にできません。3が書けたら、1と2は後から機械的に詰まります。順序はこの3つを上から下へ。逆から書くと、金額の壁で止まります。パーキンスが原典で繰り返し書いているのは、金ではなく本人の意図を先に置け、という一点です。その作業は誰にも代行してもらえない、自分の手を動かして書くしかない30分の作業です。

この記事の根拠と執筆背景

主要な参考書籍

本記事はビル・パーキンス 著『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(児島修 訳、ダイヤモンド社)を主要な参考書籍としています。特にルール3「ゼロで死ぬ」(退職者の資産消費データ、ゴーゴー/スローゴー/ノーゴーの三段階)、ルール7「タイムバケット」、ルール8「45〜60歳に資産を取り崩し始める」(資産のピークは金額ではなく時期)を参照しました。米国の退職者の資産消費に関する数値(退職前50万ドル以上の人は20年後に88%以上残して亡くなる/全退職者の3分の1が退職後に資産を増やす/年金受給者の16年間消費率4%)は原典で引用された調査結果に基づいています。記事内の「自分のための金・会社のための金・子どものための金の3区分」および「事業の節目と個人の時間軸を重ねたタイムバケット」は、本書原典にない筆者の拡張で、中小企業経営者向けの実務翻訳として提示しています。

引用した支援事例について

  • 事例①: 不動産関連の小規模会社(代表+従業員1名・年商5,000万未満・代表34歳・2024年秋頃)。従業員評価の軸を金額ではなく「社長のストレス軽減分」から逆算して設計した案件。社名・個人名は匿名化。具体金額は公開していません。
  • 事例②: 飲食店(カフェ+室内グランピング付きカフェの拡大・コロナ後〜廃業着地の1年半前から伴走)。撤退・廃業の決断が1年遅れたことで再チャレンジへの移行も1年遅れたケース。現在は自己破産手続きを進めながら再建の準備中。社名・個人名は匿名化。センシティブな案件のため経営者本人のプライドを傷つけない範囲で記述しています。

執筆日・最終更新日

執筆: 2026-04-22 / 最終更新: 2026-04-22(原典PDFベース再リライト)

著者について

枝元 宏隆(えだもん)。中小企業診断士、複数法人経営者。九州中心に経営改善・資金繰り改善・事業承継の伴走支援を実施。社外CFOとして年商〜3億円規模の中小企業オーナーの財務設計に継続関与。

えだもん (中小企業診断士)

中小企業診断士/連続起業家。21歳で起業、以来14年でビジネス書2,000冊超を読破。実務で効いた本だけを紹介する「課題突破の選書エージェント」運営者。

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